アドリブって何じゃ?
- 通常、アドリブ、は即興演奏と言われているおるが、演技なんかにも使うの。
Jazzバンドじゃ、むしろソロイストはインプロビゼーション(improvization)で、バックがアドリブと言った方が現実に近いようじゃ。バンドの指向にもよるが、最低限のルール(曲目・キー・テンポ)に則ってさえいれば、どんな音を出しても構わんのじゃ。
では、ソロイストはどうやってインプロビゼーションをするのか?
理論的な実践は別項にゆずるとしてじゃ、
通常、頭に浮かんだメロディを楽器で出す、という事になるの。
(これをお読みのミュージシャンのみんなは、手クセ・指クセで音を出しとらんかの?
ま、それはそれで、個性としていいんじゃがの、、、)
じゃから、いろんな曲のバックでハミング(スキャット)すりゃいいんじゃ。
ソロ(インプロビゼーション)の時、ギタリストが時々唸っていたり、口をパクパクさせたりしとるじゃろ。
(かの有名な、ジョージ・ベンソンのジス マスカレードは、ハミングとインプロビゼーションを同録したもので、間違いなく被せた物では無いと思うの)
このハミング(音声)を100%楽器に置き換えられるといいんじゃが、実はこれが難しいのー。
思わん音も出てくるぞ。^^;
頭に浮かんだメロディ(サウンド)を完璧に楽器で表現できたら、もう言う事は無いの。
ここら辺の事を書いた、いい文章を見かけたので引用するわの。
(エディ・ヒギンズほど「歌」の美しさを浮き彫りにできるジャズ・ピアニストは滅多にいない。)
ジャズはアドリブを高度に究めてゆく過程で、どうしても「歌」を捨てなければならなかった。それは、ジャズという芸術の可能性を大きく広げることだったが、それがいかに音楽のおおらかな楽しさを奪うものであったかは、コルトレーンが歩んだ苦難の道筋を思い出してみればいい。コルトレーンの後に来た才能豊かなピアニストたち、例えばハンコックやコリアやジャレットにとって、「歌」を自分たちのアドリブ芸術の根本にすえるという無自覚な選択はもはや不可能だった。その事実はいまだにジャズ・ピアニストを呪縛している。その結果、ジャズのアドリブ理論を学んだ最も苦手なわざは、自然な「歌」を歌いあげることになった。(「スイングジャーナル誌」 フランス文学者
中条省平氏)
- ものの本によると、
“例外はあるが、ジャズのプレーヤーはそれぞれのスタイルの慣習にしたがいながらインプロビゼーション(即興演奏)をおこなう。
インプロビゼーションはふつう、既存の曲であれオリジナル曲であれ、その曲のコード進行から逸脱することはない。器楽奏者も黒人ボーカルの手法をとりいれ、音をすべらせる奏法であるグリッサンドやスライド、微妙にくるわせた音(ブルー・ノート。ブルース音階特有のフラットぎみの音、じいさん注:「フラットぎみ」であって「ジャストのフラットではない」)、うなりや泣き声のような音色効果などをもちいる。
各奏者は個性的な音色と持ち味をだすために、シンコペーションやスウィングといった手法をつかって独創的なリズムの創造につとめる。
スウィングとは、裏拍でメロディを演奏したり、ただしい拍の位置からわずかにずらしてメロディをうたう際の「ずれ」や「はずみ」の感覚である。こうしたリズムは譜面にかかれない場合が多く、あったとしてもインプロビゼーションをおこなう指標をしめすにすぎない。
ジャズの典型的な楽器編成は、ピアノ、ベース、ドラムからなるリズム・セクション(じいさん注:3リズムという)と任意にくわえられたギター(じいさん注:4リズムという)の編成が原型で、それに数種の管楽器がくわえられる場合がある。ビッグ・バンド・スタイルでは、管楽器はサックス、トロンボーン、トランペットの3群から構成される。
ジャズではコード進行にしたがうかぎり無数のメロディを生みだすことができる。奏者がコード進行に適合させて新しいメロディを即興でつくりだす間、コード進行は何度でもくりかえされる。これがインプロビゼーションの本質である。”
とあるが、一番肝心な点が抜けておるの。
別のところ(「Jazzとは?」)に書いたが、それは常にプレイヤーが互いに影響しあう事じゃ。
勿論、お客さんがいる場合、お客さんも重要な共演者になるのじゃゾ。