むか~しの楽隊思い出話
- 弾き語らずの時代
皆は、「弾き語り」を知っとるかの?(じゃ、「流し」はどうかの?)
ワシが東京の学校のJazz系のクラブへ入ったばかりの頃、何の因果か、とある店(Dといった)で「弾き語り」をやっとくれ、という話になっての。昔取った杵柄、「語り」ましょう、と言う事になったんじゃが、お店からストップがかかっての。
「歌わんでよろしいッ」。「ギターだけ!、後は客の歌の伴奏」(唄バンといった)
そりゃま、そのはずで、クラブで学生フォークを歌ったら客はシラけるわの。
で、リズムボックス相手に、魅惑のムードギターの日々とあいなったのじゃよ。
ただこれで随分歌謡曲を覚えたもんじゃ
もひとつ、思わぬ収穫があったのが、初見の勉強が出来た事じゃ。
- クラブ「M」
その後、色んな店に行って、語ったり語らずじゃたりしとった。
今でもハッキリ覚えておるのが、渋谷の公園通りにあった店に、オーディションを受けるために、とあるプロダクションの社長(その時初対面)と一緒に行った時、途中に「M」という有名なクラブがあったんじゃ。
ショーの出演者を見ると、もう、現在活躍中の歌手の多い事。
こんなとこのバンドでやってみたいですねーと言うと、その社長、元バンドマンで、曰く「ここのバンドはね、「A」と言って、歌手の「I」のバックバンドがメインで、あとテレビとかダンスホールなんかもやってる、若手で実力のある9ピース(9人前後)のバンドだよ」と言う事じゃった。
その後、その前を通って、しばらく毎日弾き語ったり語らずだったりやっとったんじゃ。
- うれしはずかしプロデビューの巻
ワシの楽隊としてのプロデビューは、東京の東武東上線の「O」という駅の駅前にあった「P」というキャバレーじゃった。
確か、「D」のママの知り合いの弾き語りのプロダクションの社長の紹介だったと記憶するが、なにぶん古い話じゃ。
バンマスはテナーのOさん。この人は、進駐軍のキャンプなんかでやってた人で、本来はアルト吹き。
行くなり、「ユー、初見できんのかよー?」と、はなから、うれしいバンドマン用語!。
ヤター、プロのバンドの一員じゃーとうれしかった事。
後は、ドラムとベースのカルテット。
ウキウキ気分でアンプをセットして、本番待ち。
で、ファーストステージの一曲目。
確か、Fのブルース。
バンマスのカウント。
ワン、ツー。ワン、ツー、ウン、ウン。
なんとかソロも弾かせて頂き、ベースソロの後、お決まりの4バース。
で、なんとか1ステージ目終了。
バンドマン用語の勉強せんといかんなーと見当違いの決意。
- プロデビュー、涙?の2ステージ目の巻
プロデビューの日の、2ステージ目はたしかヌードショーじゃった。
ショーの時間少し前に、ダンサーとテンポとかサイズの打ち合わせ。
当然、初めてみる本物の譜面。
もう完璧に舞い上がっておった。
譜面に書かれているリズム形は確かルンバじゃった。
さっきと同じバンマスのカウントなのに、アホな事になんと倍のテンポでやってしまったんじゃ。
多分バンマスはじめ、バンド全員がすかさず注意の合図をしてくれたはずなんじゃが、こっちは目が譜面にベッタリンコ。
延々と倍で弾き続けたもんじゃから、たまらずバンマス、つかつかっとアンプの後ろに回り、電源をブチッ!
ワシは、エッ!?何?どしたの???
ワシがバンマスじゃったら、ついでに足くらい蹴っ飛ばしとるがの。ギャハハ
唄バンじゃなくて、不幸中の幸い?じゃった。
なんと、クビにならずにすんだのじゃよ。
- 「キシカベ」さんのお話
その「P」という店での事じゃが、ここは毎日「ショー」が入っておっての。ショーといっても名も知らぬオバちゃんの歌とか、昔のおねえさんのストリップとかばっかりじゃったが、ボーイさんが司会を兼ねておった。
で、ある演歌のショーで、一発目が「岸壁の母」と言う曲じゃったんじゃ。
さて、ショーが始まった。
司会:「今宵、Pが皆様にお贈りする、魅惑のステージ」(←決り文句)
~中略~
(司会、ボリュームアップ)
それでは、歌って頂きましょう。
(だんだん声が大きくなる)
歌うは****。
(もう叫ばんばかりの声)
「キシカベのハハー」
---場内、水を打ったように、シーン---
当然、歌手・バンドはじめお客さんやホステスさん達、全員???
サックスのリーダーは、ふいて(笑って)サックスが吹けない。
歌手も身体をよじって笑い出す。
で、それと察して場内も大爆笑。
一言でアレだけの爆笑を取ったステージ上の人物を、ワシは今まで知らない。
その後、彼が「キシカベさん」と呼ばれ続けたのは言うまでもないことじゃて。
- まだまだ続くぞ。